無題(10/31)

あれだけ真剣に何かを願いながらテレビを見たという事は今までになかった気がする。新潟中越地震で崩れてきた土砂に生き埋めになってしまった親子の救出現場の中継を見ていた時のことだ。初めに子供一人が救出され、テレビは母親の救出をしている様子を映し出していたが作業は難航しているように見えた。「生きていて欲しい」と心から願った。その日僕は実家で掃除と要らなくなった物の分別をしていたのだが、しばしテレビにくぎ付けになってしまった。「いや、待てよ」と思った。「こうやって呆然とテレビを見ているより自分のやらねば成らない事をやらなきゃ。そうすれば母親も助かるはずだ」。テレビを消して僕は自分の作業を再び始めた。掃除や片付けというものは億劫な作業なのであまりテキパキとやれないのだけどその時は集中して出来ていたような気がする。何かが通じる気がしたのだ。いや通じて欲しいと切に願った。
夜テレビを点けると母親は助からなかったと報じていた。涙が出た。本当に悔しかった。これだけ多くの人が心から願った事でも通じない事がある、という冷徹な現実を見せられてしまった事への悔しさ・あるいはやるせなさだった気がする。


そんな重たい気持ちを救ってくれたのは被災地で懸命に協力しあう人たちの姿だった。足りないものを分かち合い、力を合わせて復旧の作業を行なっていた。そこには人が持っているポジティブで前向きな「優しさ」、つまり僕らが忘れかけていたものがあった。僕は彼らに勇気づけられた。本来は逆であるべきなのに。


なのに地球の反対側のイラクで起きていることは一体何なのだろうと強く憤りを感じてしまう。命を救うためにあれだけの危険を冒して作業していた救急隊員や、切に「生きていて欲しい」と願っていた大勢の人がいる一方で、人の命を交渉ごとの材料に使ったりする事や、大勢の命を意味もなく奪ってしまう戦争があたかも平然と続けられている。この矛盾がどうしても解けない。ただこの矛盾をとくカギを見つける為に何か行動を起こさなければと思っている。