前向きに生きるということ(2/13)

昨日までプラネタリウムの新作のミックスをやっていました。もうすぐ皆様のお手元に届けられますので、今しばらくの辛抱をお願いします。かなり良い出来ですよ。


午前中に別のバイトをやっているという事は何回かこのコラムにも書いてきました。以前からそうなのですが、そこは揉め事の絶えないところです。結果からいえば人が長続きせずに辞めてしまうという事です。出発はやはり労働条件の不満だったりするのですが、最終的には人間的対立に発展し、決裂というパターンがお決まりです。僕は午前中という限られた時間枠ということもあって、比較的揉め事の外側にいる事が多いのですが、やはり揉めている職場というのは居心地の良いものではありませんし、人が辞めれば自分の負担が増えてしまうという事でもあります。
やはり対立の両者には言い分の違い立場の違いがあり、それに増して自分の考えている事を正確に伝えきれていない不手際があります。むしろその伝えきれていない部分で誤解がどんどん生じて、それが更に折り合えるはずの話しを混乱させているような気がします。
労働条件の不満なんていうものは、僕がやってきたバイトのどの場所においてもあるののでした。それが大きな事態に発展するか、否かを分けているのはリーダーたる人の人格的魅力・大きさに尽きるのではないかと思います。


司馬遼太郎は「竜馬がゆく」の一番重要な場面において「事の成るならぬは、それを言う人による、という事をこの若者を描く事によって考えようとしてきた」と付け加えています。その文章に高校時代に触れ、事あるごとにそれについて考えてきました。確かに「この人がこれだけ言うのであれば、とにかくついて行ってみよう」と思わせてくれる人はいます。思うにそういう人は等身大で生きている人なのではないか、という気が最近しています。言っている事とやっていることにズレがないという事は、人に安心感と信頼関係を与えるものであり、無理に強がるより自分の弱さや落ち度を認めた上で、「でも一緒に前に進もうや」というスタンスは強い求心力を生むのではないかと思います。


そう、昨日ミックスに行く途中にお腹が空いていたのでラーメンを食べました。とても美味しかったので、お金を払う時に「とても美味しかったですよ」と言ったら、レジのおばさんはとても嬉しそうにしていました。小心モノなのでそういった事はあまり言えないたちなのですが、勇気を出して思っていることを言って、相手に受け容れてもらえるというのはとても気持ちの良いものですね。


そんな良い気分で246を渋谷方面に向かって車を走らせ、環八のアンダーをくぐった先で突然ネズミ捕りに遭遇しました。信号で止まっていると警官がこちらに向かってきたので半ば観念しました。幸い自分ではなく後の方の車だったので胸を撫で下ろしました。
しかし、ああいった取り締まりに遭遇するたびに本当に嫌な思いをします。なんで交通取締りをするのか?それは交通事故をなくすためですよね。これにはまったく異論はありません。じゃあの取締りで事故が減るのか?僕にはそう思えません。スピードの出し過ぎで事故が起こるのだとすれば、スピード出し過ぎて走ってきた車を捕まえてもしょうがないじゃないですか。それより「この先でスピード違反取り締まってます」と垂れ幕でも掲げて大々的に告知すれば皆、スピードを緩めますから結果的には事故が減ると思うのです。スピード違反者がいませんでした、というのが理想なわけですから。それでもスピード違反してくる車を容赦なく捕まえるのにはまったく抵抗はありません。
10数年前に間違えて右折違反してしまって、その先で待ち構えるようにして待機していた警察に違反切符を書かされた上に、「ここは右折違反による事故が多いんですよ」という言葉を聞かされて以来、僕は一貫して交通取締りに対して不信感をもっています。車を止めて一言いってやりたかったなー。


最後はちょっと今日のタイトルからは逸脱してしまったようですね。ハハハ…。