熱い夏(8/16)

60回目の終戦の日がやってきた。そして総選挙。暑い夏に負けないくらい熱い論戦が各方面でおこなわれている。その中で二点ほど僕の思う事を書いてみたい。

まず一つ目は靖国神社の問題について。これは近隣の国との外交問題における最も大きな懸案にもなっている。おそらく靖国参拝で一番争点となるのは合祀されているA級戦犯と戦争責任との関係だと思う。
それに関連して戦勝国による軍事裁判に合理性があるのかという意見もある。戦争自体に責任があるのかという意見もあるだろう。僕も映画「東京裁判」を何回か見て疑問に思う事も多々ある。ただし多くの国はその結果を受け入れて戦後の日本は出発したというように解釈しているのではないだろうか。だとすればそこで裁かれた人たちが合祀された場所に参拝する事は「日本はあの戦争の責任を本当はどう考えているのか」という疑問に繋がっていくのではないかと思う。

また責任という事に関して言えば、司馬遼太郎の「世に棲む日々」の中に日本人は責任を一人の人間に帰する事をせず、責任の所在が明確にならないような組織を作ってきた。往々にして責任の所在は「会議」等の生身の実体の無い所に置こうとするという考察が書かれている。僕は靖国問題について同じ事を感じる。「国としては反省しているし近隣諸国に多大な迷惑をかけた」と真摯に思っている事と、その責任を生身の人間に帰するという事をしないという事が日本の中においては成立するのかもしれない。ただこれはよほどの説明をもってしても、外国からは理解し辛い事なのではないだろうか。

確かによその国の圧力に従って態度を決めるべきでないという意見は充分理解出来る。だとしたらもっと日本はあの戦争について自らより深く検証して明確な姿勢を外国、とりわけアジアの諸国に示さなければならないのだと思う。ハッキリとした姿勢が見えないものが強力な力を持っていると周りからは不気味な存在に映る、ということも司馬遼太郎氏は書いていたが、まさに今の日本もそうなのではないかと思う。
ドイツの国家元首はヒットラーの墓参りに行くのだろうか?イタリアの国家元首はムッソリーニの墓に行くだろうか?この問題を考える時に僕はそんな事も考えてしまう。

二点目は総選挙の事。政治に対する不満というのを少し強引ではあるけれど一つに集約すれば「なんで特定の人だけにおいしい政治がまかり通るの?」という事ではなでしょうか。それは税金の無駄遣いであったり、官僚の天下りだったり、あぁ、議員年金もそうかもしれません。既得権益なんて言葉も思いつきます。
その原因の一つ、あるいは最大の理由は選挙に行かない人が多いからです。その人たちが特定の人たちにおいしい政治をしていれば当選できる仕組みを作っているのです。もちろん投票するしないは自由なのですが。棄権する事は自由ですが、その人はどんな世の中になってもそれを静々と受け入れなければならないのですよ。


そう先日、参院で郵政法案が否決された際、投票を棄権した理由を喋っていた大仁田議員を「ハマコー」こと浜田幸一氏が怒鳴りつけていました。簡単に言えば「棄権した奴が偉そうに能書き言ってんじゃないよ」という事でした。ハマコーさんの好き嫌いは別としていっている事は理解出来ます。選挙も同じだと思います。

今回の選挙、注目を集めているので投票率が65パーセントを超えるかもというような事を昨日のテレビで評論家が喋っていました。それでも「三人に一人」は行ってないんですよね。
皆さん選挙に行こうじゃありませんか。非難を覚悟で言えば、良いんです、そんなに深く研究して投票しなくても。政策知らなくても良いんです。まったくもって自分もそうですから。投票率が80とか90パーセントになれば、今まで組織票だのみで当選していた人がたとえ当選したとしても、特定の人だけの方向を向いて政治をしていられなくなります。
とにかく開票が始まってすぐに当確が出てしまうような選挙はもう止めようではありませんか。
僕も20代は選挙に見向きもしなかったのです、ある人に書いたような事を言われて考え方を変えたクチです。偉そうなことは言えないですね。あぁ、充分過ぎるほど言っている。