新しい事(3/5)

「新しい事」「今までやってこなかった事」「避けて通ってきたもの」に最近関わろうとしています。なんでだろうと思う。おそらく(自分の事なのに)自分を変えたい、という気持ちが以前より強くなってきているのです。あるいはもっと強くなりたいと願っているのだとも思います。別の言い方をすれば現在の自分が気に入らない事だらけなのです。更にその気に入らない部分が以前と全く変わってない事にも気づいてしまったのです。「何だちっとも成長していないじゃないか」。
去年あたりから些細な事でも今までやっていなかった事をやってみると気持ちがスッとする事に気がつきました。「何だ思っていたより厄介ではなかったのか」とか「面倒だと思っていた事も出来たじゃないか」とか。人から見たら全然大した事ではないのかもしれないけど、自分としては小さくガッツポーズというような気持ち。


その中で新たに関わりだした事の一つに住んでいるマンションの管理組合があります。もう話しても良いと思うのですが一昨年の暮れにうちは空巣に入られて被害を受けました。それを契機に管理組合の理事の方々や自治会の人とも面識が出来て、去年は自治会の仕事を少しではありますが手伝っていました。それまでの自分というのは最もそういう活動と縁遠い人間で、どちらかと言えば「関わりたくない」とも思っていました。
あまり良いきっかけとは言えないのですがそういった経緯で一緒に活動してみると、それぞれの方が実に魅力的で自分の視野を広げてくれる事に気がつきました。そういったメンバーから「来年は管理組合の役員をやってみては」と言われた事を素直に嬉しいと思いました。まるっきり見込みがなければそんな事言われないでしょうし、何か自分が出来る事があると人が思ってくれているという事が嬉しかったのだと思います。
新しい理事会も始まり予想をしていたよりもはるかに大変で難しい事も多いと気づかされました。20名を超す理事の方のバックボーンも考え方も本当に様々ですし、680世帯を超すマンションの管理自体も至難の業なのだとも思わされました。ただこういった人たちと一年間活動して何かをなし得ることが自分として出来るのだろうか?出来れば自分の気に入らない部分が少しは減ってくれるのではないかとも思っているのです。


もう一つの新しい事としては近くを流れる境川の脇に水辺を再生させる作業にボランティア参加している事もあります。境川自体は愚かなことなのですが全部護岸工事でコンクリート張りになった上にフェンスが延々と作られていて水辺に降りる事すら出来ません。その川の清掃などを定期的にやっていたボランティアの方々が許可を得て川の横にある小さな広場に昔ながらの川辺を再生しようとしているのです。
僕を魅了させてしまったのは、その水辺の再生の為に掘った井戸でした。川べりをサイクリングしていてその作業に遭遇してしまった時にその井戸のポンプを動かしてみたいと思いました。作業しているボランティアの方に許しを得てそのポンプの取っ手を動かし水が上がってくる手応えを感じると、体の中にある遥か彼方の記憶が蘇ってくるようでした。それは同時に胸につかえているものがスーッと消えていくような気持ちでもありました。
お話を伺うとそこに水辺りを再生して境川で採った魚などを放すという計画でした。それを聞いて小学校時代毎日のように川に行って小魚を釣ったりアメリカザリガニを捕まえた記憶が更に蘇ってきました。と同時に「あの水辺をもう一度見てみたい」と思いました。
出来る範囲ではありますが作業を手伝っています。今日も午前中手伝ってきました。まだ今の作業は土を掘り返したり運んだりする「土方作業」です。ある年配の方が教えてくれました。「土方は決して作業を急がないんだ。なまじ急いで体を壊してしまうよりその方が効率の良い事を知っているんだ」。色々な人と触れ合うのはとても楽しい事なのですね。最近やっと解ってきたようです。
作業を終えて井戸の水で顔を洗いました。長い時間を掛けて地下を旅して来た水に「ぬくもりのある優しさ」を感じました。今机の上に小さなペットボトルに入れてきた井戸水が置かれています。少し茶色がかってはいますが透明な水です。自分はこの水のような「ぬくもりのある優しい」人になれるのかと思いながらこの文章を書いています。