変化(5/12)

加藤いづみさんのツアーで訪ねた高松での空き時間、日本一長いのではと言われているアーケードを僕は歩いていた。そこのアーケードには僕の心を和ませるものがあった。それは何かと言えば昔から続いている商店だ。漬物屋、乾物屋、呉服店、民芸品屋など等。それぞれに使い込まれた入れ物やショウケースがあり、自分たちが良いと思ったものを売っていきたいというような意思を感じる事が出来る。昔から続いているものだ。


以前から書きたかったショックな出来事がある。それは僕が育った実家のすぐ近くにあった商店街が取り壊されてしまった事だ。30年前にそこに引っ越していた時には生活に必要なものは殆どそこで揃った。肉屋、魚屋、八百屋、本屋さんから雑貨店。もちろんお菓子屋も。
しかし近くの団地に住む人の年齢層の変化や大型駐車場を持つスーパーの進出などで、一軒また一軒とシャッターが下りたままの状態になっていった。昨年実家の地区の自治会の総会に出席した時もこれは深刻な問題になっていた。地区自体は高齢化が進んでいるのに歩いて行けるところに生鮮食料品を買える店がないと。


GWの前に帰った時、商店街の裏手には重機が入り、前面には作業用のシートが貼られていた。向かいにあって残ったクリーニング屋さんで、顔なじみだった店員さんと「かつては・・・・」という言葉が何度も出た。その間もユンボウが大きな音をたてて壁を壊していった。壊した後には住宅が10軒建つそうだ。


変わってしまうという事が時にとても淋しい気持ちになる事がある。商店街を跡形もなく壊してしまう事は「あれがあって、これがあって、あんな奴がいて、こんな可愛い女の子がいて」というような僕の中にある無数の連続している記憶を破壊する擬似行為なのかもしれない。町並みというのはそこに住んできた人にとってはとても大切なものなのだと思う。たとえそれが綺麗に整備された町並みでなかったとしても。変わっていくことは本当に正しい事なのだろうか?
GW中に近くの居酒屋で呑んだ時に、マスターとその話や様相が急激に変化してきている駅前の事について話した。マスターは「金儲けだけを考えていたら街づくりは出来ないと思うよ」と言った。


井上陽水がかつてインタビューで「50代って、これから何があるかという事よりも、これまでに何があったかのの方が多い年代に入ってきたという事なんですね。自分が輝いていた事柄を確認するのがすごく嬉しい年代になってきたんですね」と語っていた。
そこには確かに10円を握り締めてアイスを買いに行った駄菓子屋があり、焼き鳥を店の前で焼いている肉屋があり、漫画を立ち読みしていて怒られた本屋があった。