戦争と自分の関わり(8/15)

今日は61回目の終戦の日です。やはりこの時期にくると僕は毎年戦争の事を考えてしまいます。それは別に何か特別な使命感があるわけではなく、自分の親があの戦争を体験して生き延びた人たちであり、その話を小さい頃から聞いて育ったからだと思います。


終戦の日の事に関して母から聞いたのは「あの日はとても暑かった」とか「校庭に出て玉音放送を聞いた」とか「皇居の前で軍人さんたちが随分自殺したらい」という淡々とした話で特に誰かに対する批判的な話であったわけではありません。ただそのような話を聞いていたおかげで、実際の戦争体験者ではない僕の中にそういう日が実際にあった、という事を想像できる「何か」があるのかもしれません。
なので8月だけではなく3月と5月になれば東京大空襲の話を聞いた事を思い出します。「3月の時は下町がやられて渋谷の家からもそちらの方向の空が真っ赤になっているのが分かったわ。5月には渋谷もやられて、飼っていた鶏を防空壕に入れておいたのだけど、あまりに空襲がひどいので別の場所に逃げたのよ。私たちと反対方向の神宮の方に逃げた人は誰も帰って来なかったわ。そして翌朝帰ってきたら鶏が全部丸焼けになっていて、隣組の人は美味しいと言って食べてわ。私は食べなかったけど」。
リアルに感じるというのはそういう事なのかもしれません。数々の悲惨な映像の残されているあの戦争の中に自分の親や親戚が実際にいたのです。実際に戦争に行って死んだ叔父もいるわけです。本当にそうい悲惨なことが61年前までの4年間日本であったのです。


それさえも忘れてしまっている人、初めから憶えてない人も増えてきているのかもしれません。僕は親が伝えてくれた戦争の体験を自分の中で風化させないようにしたいと思っています。くどいようですが実際にあった話なのです。しかもそれは現在においても中東の場所で繰り返されている事なのです。繰り返すようですが良い戦争なんてどこにもありません。人間がもし後世に誇れる事がこれからあるとすれば「自分たちで戦争を起こさないで済む方法を見つけた」という事しかないのではないでしょうか?見つけられてはいませんがあるはずです。必ず。