先行き不安(8/31)

山口県の事件をテレビでやっていた。バイクで逃走中だとか。その前は稚内の母殺人事件をやっていた。春から何となく忙しくしていて(たいした事はないのだけど)世の中の事をあまりちゃんと見ていなかった。でもテレビや電車の中の吊り広告を見ていると子が親を殺したとか、親が子を殺した、あるいは虐待した、そんな事ばかりが報道されていた気がする。一体世の中はどうなってしまったのだろう?何でそんなに簡単に人を殺せるのだろうか?


今までに仕事やプライベートで知り合った人でも「あまり良く理解できない」という人は確かにいた気がする。でもそれは価値観のちょっとした違いくらいで、むしろ僕の間口が狭くて理解できないんのだろうなぁ、と思ったりしていた。
でも30万というお金で実の母の殺人を依頼する事や、30万でそれを引き受けて実行してしまう少年たちを理解する事は僕には到底不可能だ。全く分からない。勿論こう言ってしまえば全てが行き止まりになってしまう。そこに至るまでの様々な事情や精神的な要因などがあるのだろう。であったとしてもやはり何故「殺す」というところに行き着いてしまうのかは理解できないと思う。
元々「人」というのはそういったものなのだろうか?それともこの急速に変化を続ける社会がそういった人間を作り出してきているのだろうか?


アメリカのジョンベネ事件の報道を見ていると、よく美少女コンテストに出ていたころのジョンベネちゃんの映像が流れる。凄く気持ちが悪くなる。食中毒を起こして体内のモノを吐いてでも外に出そうとする生理現象に似た感覚だ。映像を引っ張り出してきて未だに切り取ったり貼り付けたりしながら流しているマスメディア・世の中・それを飽きもせずに眺めている自分たちに対してだ。吐いてでも外に出したくなる。
それと似た事が最近日本の報道でもある。幼児殺害事件に巻き込まれた子供の学芸会の風景や運動会の風景、当然周りにはボカシが入っていて被害に遭った子だけが楽しそうに笑っている。何の必要があってそんなものを流すのだろうか?僕はしばし考えてしまう「一体このビデオは誰が提供したのだろうか?」。流す事によってのみ伝えられる「重要」な事がそこにはあるのだろうか?僕には到底そうは思えない。「皆さんこんなに可愛い子供が、こんな残酷な事件に巻き込まれてしまったんですよ。世の中何か変ですよね。ちなみにこのビデオはうちの局のみの独占入手ですよ」というような陳腐なセンセーショナリズムのみ。事件の本質とは関係ない。とりあえず人の目を惹きつけられれば良いのだ。
昨日、高橋研氏と話をしていたら「アメリカではジョンベネちゃんを自分が殺したと名乗り出た奴が3000人いるらしい」と言っていた。「何のために?」と尋ねると「目立つためさ。本当におかしな世の中だ」と言っていた。


「とにかく目立てば良いんだよ。何やったって」。確かにおかしくなってきているのかもしれない。


今日はとても気持ちの良い夕方だった。暑さもやっと峠を越して少し風が爽やかに感じられた。今このコラムを書いている通称「Blackスタジオ」の外もすっかり暗くなり虫たちの鳴き声が聴こえてきている。夏が終わって秋が来たのですね。
きっと勤め帰りの多くの人もバスを降りて電車を降りた時に秋の気配を感じて、「生きている」事の喜びをフト感じていたりするのではないかと思います。僕は目立っていないし大金持ちでもないけれど、そういう季節の移り変わりを感じる事が出来る自分に幸せを感じています。この一番ポジティブな感覚を軸に生きていけば決して悪い世の中にはなっていかないと信じているのは僕だけでしょうか?