僕のバイブル(その2)(6/25)

以前書いたような気もするのだけれど、僕にとってのロック原体験と言うのはこの映画だった気がします。「THE CONCERT FOR BANGLA DESH」。ジョージ・ハリソンがバングラデシュ難民救済の為に71年に開催したコンサートの記録映画だ。
この映画を初めて見たのは小学校の終わり頃か、中学に入りたての頃だった気がします。どちらにしても兄貴から「絶対に見に行った方がいいぞ」と教えられて行ったのは確かで、兄貴は同じ事を友人の兄から言われて見に行ったようでした。


それ以来、名画座でかかる情報を見つける度に見に行った。おそらく映画館で10回近く見ているのではないだろうか。飯田橋にあった、ギンレイホールで「ウッドストック」と二本立て300円くらいでやっていたのを見た記憶があるし、母親がラビ・シャンカールを見たいと言って、一緒に横浜の名画座に行った記憶もある。うちの母親は三味線の教師だったので、何か勉強になると思ったのかもしれません。


その後アナログ盤三枚組のアルバムも買った。LDが出るとそれも買った。そして一昨年の秋にDVDで再発売されたのも当然ながら初回限定版を発売当日に買いました。
昨日久し振りにじっくり見直していたら、冒頭に書いたように、この映画で僕は音楽にのめり込んでいったのだと改めて気付かされました。今でも出演している総てのアーティストが理屈抜きで本当にカッコ良く見える。それは、この映画で初めてクラプトンにしてもディランにしてもレオン・ラッセルにしても動いている姿を見たからなのです。その時受けた刺激というのは、30年以上経った今でもちゃんと体の奥に残っていて、また見るたびに新たな刺激を与えてくれるのだと思います。


そう、総てが初めての体験だったのです。ビリー・プレストンが自分の歌っている曲の途中で踊りだして、ステージ中央にいって歌いだすシーンを見て、黒人アーティストのノリというか体の動きのダイナミズムに驚きました。
クラプトンがタバコをギターのヘッドと弦の隙間に差し込むのをみて、何てカッコ良いのだろうと思ったものでした。


そういった思い出話は良いとして、改めてこのライヴの演奏の素晴らしさに感動してしまいます。オールスターコンサートにありがちなジャムセッション風な演奏にはならずに、キッチリとアレンジされた演奏になっています。やはりフィル・スペクターが取り仕切っているのが大きいのだと思います。ブラスセクションとコーラスの入った「Something」などはビートルズのスタジオテイクとは違った、また素晴らしい出来映えです。
どうしてもまず目がいってしまうのが、リンゴ・スターとジム・ケルトナーのツインドラムです。オープニングの「WAH-WAH」の最初の部分で二人を撮ったやや引き気味の絵がありますけど、タイミングの合い方、グルーヴ感、絶妙なものがあります。
DVDにボーナス映像として付け加えられたインタビューの中でも、ケルトナーが「リンゴは憧れの人だ。緊張に負けないように精一杯やった」と語っていますし、リンゴは「ケルトナーはベストドラマーだ。一緒に演奏できて嬉しかった」と語っていました。
そのツインドラムに乗るクラウス・フォアマンのベースも素晴らしさもDVD化にあたってのリミックスでより感じられます。「Something」などではポールのベースラインを意識しつつも、よりアーシーな粘りのあるビートを奏でています。


今見直して思う事は、何て一人一人の存在感が大きいのだろうかという事です。ステージ上で無理に自分を演出している訳ではなく、剥き出しの自分のままでいるのに、近寄りがたいようなオーラが全員にあるのです。特にディランに至っては何か神々しい雰囲気というものがあります。決して見ている側に媚びるわけではなく、自分の信じる事を奏でていて、尚且つ最高のエンターテイメントを与えている。その凄さを改めて感じます。


しかし、それ以上にこのライヴ映像が僕にとって普遍的にエネルギーを持っているのは、「音楽で何が出来るのか」という事と「人が集まって力を合わせる事で何が出来るのか」という事に対する答えが演奏を通じて強く感じられるからなのではないかと思っています。この映像を見ると一番最初に見た際に思った「音楽ってこんな大きな事ができるんだ」という感動を思い出すのです。