朝青龍について(8/29)

朝青龍どうやら帰ってしままったようだ。昼のワイドショーで成田に現れたと騒いでいましたから。
巡業を怪我という理由で休んでモンゴルに帰り、元気にサッカーをしている姿をすっぱ抜かれて早1ヵ月。やはり「何だかな〜」というすっきりしない気持ちになってしまいます。
「病気」なんだからしょうがないではないか、と言われればそうなのですが、こんなにけじめがつかない形で事態がズルズルと押し流されていって良いのだろうかと強く思います。


最初に分かりきった事ながら、仮病を使って巡業を休んだ事は間違いないのですから一番悪いのは本人なのです。だから先月末に日本に戻ってきた際に、ちゃんと本人が記者会見などをして謝罪をすれば、ここまで話は迷走しないで済んだのではないかと思います。その時点で「解離性障害」だったという訳ではないでしょうから。
ウソをついて皆でやらなければいけない事をサボった・・・であれば本人が謝るのが先決だという、分かりきった理屈が通らない理由は一体何なのでしょうか。


面会を求めて、朝青龍のマンションに日参している高砂親方を見て「相撲の親方の権威ってこんなもんだったの?」と疑問に思ったのは僕だけではないと思います。横綱とはいえ、呼ばれたら自ら足を運んで親方の処へ出向くのが常識だと思っていました。元大関の小錦も「有り得ない光景だし、見ているのが辛い」と語っていました。結論から言えば「そこまで増長させてしまった」という事なのでしょう。


「○○であれば何でも構わない」という理屈を多く聞くようになりました。またそういった理屈が幅を利かせる事が多くなりました。今回のことで言えば「強ければ」。他にも色々ありますよね。「お金が儲かるのであれば」とか、子供に対して「成績さえ良ければ」とか。後、僕が嫌いなのでは「面白ければ」というのもあります。
人や物事の価値を計る上で本当にそんな簡単な物差しで良いのでしょうか?結局人というのは、どっかで依存しあって生きていかなければならないのに、一つの部分が突出していれば後は何でも構わないという事はないように思えます。
横綱というポジションは「力士として強い上に、人間としても立派だ」という、「○○であれば何でも構わない」という事の対極にある磨き抜かれた人間形成のシンボルとしてあるのだと思います。これは一つの「権威」であり「名誉」なのだと思います。
その「権威」を大事に出来なかったのは、あるいは協会であり親方なのではないかと思います。相撲人気を維持する為に「権威」を横に置いて、朝青龍に「何だ。強ければ何でもいいんジャン」と思わせてしまったように思えるのです。結局この帰国も協会を含めて、朝青龍の言い分に折れてしまった、という感じがどうしてもします。もう事がここまで来てしまえば、そうするしか無かった、という事なのかもしれませんが。
更に言えば、それをどこかで後押ししているのは、世の中の価値観を「○○であれば何でも構わない」という理屈で単純化させている僕ら自身のようにも思えるのです。


僕は朝青龍自体は嫌いではありませんでした。多少、感情が顔とか態度に出すぎるのかもしれませんが、それはそれで真摯に打ち込んでいる姿だと思う、と以前も書きました。圧倒的な強さも、厳しい練習の積み重ねがあるからこそだと思います。
だからこそ、このゴタゴタを早く終わらせ、本当に怪我を治し、テレビで見ていても思わず声が出てしまうほどの取り組みをまた見せて欲しいと思っています。