日本語(1/11)

「私はこの様に考えます」と「私はこの様に思います」では何が違うのか。どのような異なった印象を与えるのか。それは何故なのか。また、「意味が通る」と「意味が通じる」では、表現の背後にどのような認識の違いがあるのか。「私は榎本です」と「私が榎本です」は何が違うのか・・・・等々。


そういう事に興味は無いですか?ここのところ、大野晋という人が書いた「日本語練習帳」という岩波新書を読んでいます。上記の例題など、日本語に関わる基本的な疑問を、文法や言語の歴史の角度も交え分かり易く解説しています。大変面白い内容です。


先に書いた「私はこの様に考えます」と「私はこの様に思います」の違いについてですが、自分でもかなり意識して使い方に気を付けていた状況を思い出しました。
以前も書いたマンションの管理組合の活動の中での事です。会合は一月に一度なので、その間は主にメールで他の理事の方とやり取りをしていました。場合によってはかなり真剣な意見の交換もしていました。真剣になればなるほど、この使い分けには注意をしました。
「思います」と書くべきところを「考えます」と書くと少し偉そうだなぁ、と思ったり、誰かを説得したい時に「思います」と書くと、ちょっと弱いように思えたりしました。


この本を読んで疑問が氷解しました。「考える」とういう言葉の古い形は「かむがへる」です。これは刑罰を決める時にも使われた言葉で、「か=(事や場所)」を「むがへる=(向き合わせる)」といった事を表しています。その発展形として戸籍などを調べる時に使う言葉として「校ふ(かむがふ)」という言葉があります。つまり「事実を付き合わせて調べること」という作業を表すために出来た言葉が「考える」なのです。一方「思う」は胸の中にひとつのイメージを大事にしている事を指す言葉です。
ですので「思います」という個人的な感情を書くところで「考えます」と書くと、「これが客観的に分析されたものですよ」⇒「一般的な考えですよ」、というような少々高飛車な印象を与える事になってしまいます。
逆に総合的に分析して「考えます」と書くべきとことで「思います」を使うと、「それって個人的感情でしょ」と誤解される事も有り得るという訳です。
何となくは使い分けていましたが、このような歴史的背景を知ると「なるほどな」「面白いもんだなぁ」と思います。


前回のコラムの冒頭にこのコラムも7年目を迎えたと書きました。実はこのコラムを始めたきっかけは、文章を書く事で日本語の扱いが少しでも上手くなりたかったからです。
その当時も現在も大差はありませんが、喋っていて「あれ?今自分は何について話していたんだっけ???」という事が良くあります。また「いやいや自分が言いたいのは、こんな事ではなく、ですから、ですから・・・・・」と適切な表現が見つからずに悶え苦しんでしまう事が多々あります。
自分の思いを伝えるツールとして言葉はあるわけです。そのツールを上手く使っている人には羨望を憶えます。コラムを書く事でちょっとは日本語が上達したのかなぁ?めげずに書き続けますが・・・・。