自然保護について (7/11)

尾瀬の山小屋でおきたゴミの不法投棄のニュースにショックを受けた。報道によると尾瀬にある「長蔵小屋」は空き缶や解体した小屋の廃材などを何トンという規模で敷地内の地中に埋めていたという。警察の取り調べに対して現在の経営者は「事態は認めるが、自分が指示したことではなく従業員が自分の意志で勝手にやったことだ」という見解を示していた。一方では元従業員がゴミを埋める際にその経営者も立ち会っていたという証言もその報道の中ではあった。どういった経路でそういった事態に至ったのかは現在取調べ中なのでその結果を待たなければならないが、ゴミが不法投棄されたのは間違いのない事実のようだ。しかもこの「長蔵小屋」は明治から続く自然保護の一種「聖地」のような場所で、大袈裟でなくこの小屋がなかったら今の尾瀬はダムの底になっていただろう、と言われているだけに大きな波紋を呼んでいる。


僕も時間を作っては山や海に遊びに行くことが大好きな人間としてこの問題には複雑な思いがある。この「長蔵小屋」が行った行為は決して許されざるべきことなのだが、それとは別に「僕ら」の側も「自然への参加の仕方」をもう一度考え直す時期なのではないだろうか。一つの例として「長蔵小屋」が投棄したゴミのなかに空き缶が大量にあった。そんな大量な空き缶を従業員が出す訳はないからこれは明らかに利用者が出していった物なのだ。もしこれを利用者が自分達で持ち帰っていれば少なくともこの3トン分の空き缶のゴミは出なかったことになる。アメリカのある川下りのレポートを読んだ時に川下りの参加者全員に自分の排泄物も持って帰ることが義務付けられていて、そして参加する側にもそれを当然として受け入れる素養があるのに驚いたことがある。確かに日本の山小屋の抱える大きな問題がゴミ問題と排泄物の処理なのだから、「僕ら」側の意識次第でその問題を軽減することは間違いなく可能なのだ。
更に驚いてしまうのは、山に登っていると何でこんな処に?と思うような岩と岩の隙間に空き缶が捨てられていたりすることだ。それを引きずり出して持ち帰る時の気持ちは昨今のアウトドアブームというものに唾を吐きかけてやりたくなるような気持だ。そんな処にゴミを捨てた奴が都会に帰って「やはり自然は保護しなければ」なんて言う権利があるのだろうか?「ゴミを不法投棄している山小屋はけしからん」と言う権利があるだろうか?
やはり「お金を出しているのだからゴミは持ち帰らなくていいんだ」とか「人が見てないからゴミを捨ててもいいや」と、いうような今まで僕らが振りかざしてきた意識を修正しなければならない時期に来ていると思うし、そういった意識がこの「長蔵小屋」問題とある部分においてはリンクしていると思うのだが。