常識の問題 (7/15)

先日、銀行に用事があってATMの前に並んでいたらあと二人というところからまったく前に進まなくなった。ディスペンサー自体は6台くらいあったから普通待つといってもそんなに気になるような長さにはならないが、その時は「長いな」と思ってからも長かった。要は処理しなければならない事を多く抱えた人が偶然重なってしまったということだけなのだが、僕の後ろにはみるみるうちに人の列が出来てしまった。しかしディスペンサーを使っている人達は一件の処理が終わるとまた別の通帳を取り出してはまた別の処理を始めるという繰り返しだった。僕はその日はそんなに急いでいる訳でもなかったので、比較的穏かに待っていられたのだが、後の人などは小声で「全く何を考えているんだ」みたいな事を呟いていた。自分の入金が終わった後にATMの場所にいたそこの銀行の人に銀行としてはあまりに多くの処理を続けている場合は何か注意みたいな事はするのですか?という質問をしてみた。帰ってきた答えは「常識の範囲内であれば注意するような事はございません」というものだった。一体常識というのは何件くらいのことなんですか?と聞いてみようと思ったのだが銀行員の対応としてはあまり関わりたくないという態度がありありと見受けられたので止めてしまった。
「常識の○○」という言葉ほど便利で厄介で誤解を招きやすい言葉もないと思う。以前やっていたバイトでミスをした時に「何でそんな間違えしたんですか!この仕事の常識じゃないですか!」と叱られた事があった。僕はまだそのバイトを始めて2〜3日目でその仕事のことは殆ど知らない状態だったのだがその人はひたすらに「常識」を連発して怒っていた。一方では確認の必要のないような常識だったとしても、一方では全くそうではない事なんてそれこそ山のようにあるのだと痛烈にその時も思ったのだが、これがチャンバラを始めてやがて喧嘩となりそれがはたまた戦争まで繋がっていってるという事は結構あるのではないかと思う。僕らは「常識」という言葉を価値観の違いを認め合いすり合わせるべき部分はすり合わせるといった作業をサボるための格好の言葉として使ってしまうし、「常識」という枠を振りかざそうとする時にはきっと相手も自分と同じであって欲しいという一種の「甘え」もあったりするのだと思う。銀行でちょっと待ったり、バイトで叱られるくらいならいいとしても、「常識」という言葉を使う時は慎重に扱わなければと自戒をこめて思う今日この頃だ。


それから鉄道の切符の自動販売機にしても銀行のATMにしても便利になるという謳い文句と共に使い方は複雑になり特に高齢者の方にとってはハードルが高くなる一方だという事も感じます。またこの事は回を改めて。