8月9日に思うこと

6日の広島に続いて今日は長崎に原子爆弾が投下された日だ。57年前にもなってしまったが確かに瞬時に何万という人の命を奪える爆弾が人の手によって投下されたのだ。昼の「徹子の部屋」に本島等前長崎市長が出ていて、日本は未だに日中戦争から太平洋戦争において犯した幾多の罪を認識していないと嘆いていた。そして今の十代の中には日本とアメリカが戦争していたことを知らないばかりか、その戦争がどういう結末を迎えたのかも知らない人がかなりいると徹子さんが嘆いていた。これには僕も心底驚いた。
午後に以前録画しておいたNHKの番組のビデオを見た。それはドイツやデンマークといった福祉先進国で高齢者が使っている生活補助器具の特集だった。自分の家族にとってもとても密接に関係ある話しなので久々に真剣にビデオを見た。やはりドイツやデンマークといった国は高齢になっても常に「自立」ということを奨励し、また個人も「自立」を意識しているのだと思った。どういったことかというと、生活補助器具に対する神経が非常に細やかで車椅子などもカスタムメイドで使う人の体型や病状に合わせてパーツを一つ一つ選んで作ってもらうようになっていた。多少乱暴な言い方だけれども簡単には高齢者を「寝たきり」にはしないのだ。そういった使い易い器具を使ってでも自分で出来ることはいくつになってもやろうという事であり、住宅改修をして住み慣れた家に住めるのであれば住み続けなさい、その援助は国がしましょうという考え方なのだ。そのバックボーンにはやはり高齢者という大きな枠で括ってしまうのではなく「個人の生活」というものを尊重する考え方があるのだと思う。番組のコメンテーターの方がどうも日本の介護の方向性が、介護を受ける人よりも介護をする人側にまだ立っているという段階なのではないか、と言っていたのがすごく印象に残った。
もちろんそのきめ細やかな福祉の財源は税金で賄われているので、日本に比べて所得税も消費税ももちろん高いのだ。ただ高い税金の後にさっき書いたような個人の生活を尊重し援助しますという理念があればこそ賛否両論ありながらもその税制が維持されてきたのだと強く思う。ドイツは日本と同じ世界大戦の敗戦国だ。ある意味で同じ場所からスタートしたのだが違う社会を作ったのだな、と思った。日本が戦後57年間抱えてきた「理念」とは一体何なのだろう?