自分も思い当たるのですが (8/22)

台風が去っていきなり秋がやってきました。朝晩涼しくてとてもすごし易いのですが、妙なもので涼しくなってみるとあのうだるような暑さが懐かしかったりするものです。最近のニュースはは大手食肉メーカーが起こした不正の話題でもちきりです。昨日もその会社の人事異動が発表されて、それに対する問題のとらえかたの甘さが各方面から指摘されていました。去年あたりから始まった食品メーカーの不正事件は本当に後を絶たず、新たに今日になってもお米の表示を偽って出荷していたというニュースが報道されていて、もはやこれは個々の会社の問題ではなく業界全体を覆う問題であると同時に、社会全体に蔓延してしまている大きな病状の一つの例なのかもしれないと思わざるを得ません。


僕たちはいつからこんなにも「バレなければ何をしてもいいんだ」という事を許容してしまう世の中を作ってしまったのでしょうか。それは食品業界に限った事ではなく、政治や役所の仕事にいたるまで見受けられる風潮です。確かにバレなければしても良い事もあるのだと思います。その余裕まで排除してしまうと実生活はすごく窮屈になると思いますし、「ウソ」が生活の潤滑剤になっていることは間違いなくあるのだと思います。しかしそれと輸入牛を国産牛と偽って申請して買い取ってもらおうという事は決定的に違う事だと思うし、個人的にはその二つが決定的に違うという事を認める世の中であって欲しいと思います。ただ残念なことに僕たちはそういった「ウソ」がどこまでは許されてどこからは許されないのか、といった確固たる判断基準を現在もっていません。かつて日本人は「恥」という判断基準をもってその境界線を照らしていたのだと思うのですが、この「そんな事して本当に恥ずかしくないの?」と思わず問い掛けたくなる事態の連続に、この日本人の持っていた「恥」という判断基準は崩壊してしまったのだと思わされます。


食品の表示偽装問題について思うのですが、昔からこんなにも食品に産地が表記されていたでしょうか?僕らが子供の頃は肉は肉屋さんで魚は魚屋さんで野菜は八百屋さんで買い物をして、当然そこの店の人との信頼関係で「この牛肉は○○産でとってもおいしいよ」とか「今の季節だとこの魚が旬だよ」という情報をもとに買っていました。味、値段を含めた信頼関係を獲得できない店は繁盛しないというわかり易い健全な構図だったのです。それがスーパーなどの大型量販店が増えたことによって買い手と売り手の「人」としての接触が減った分判断を産地表示などに頼らざるを得なくなって、それが「○○産のものはおいしい」というような表示を過度に信頼する事に繋がってきているのだと思います。食品表示偽装問題はそんな買い手側の心理を逆手にとった事件ではないかとも思われる部分もかなりあります。やはりここでも僕たちは判断基準を失いつつあるのかもしれません。


何を信頼したら良いのか判り辛くなってきているという事においては、僕たちはかなり困難な時代に生きているのかもしれませんね。