No,2論 (9/2)

昨夜NHKの大河ドラマ「利家とまつ」を見ていてNo,2という立場についてあれこれ思った。前田利家という人はたぐい稀なる誠実さで織田信長・豊臣秀吉につかえて一目おかれてはいたもののトップになることなく生涯を終えた人だ。こういう人がドラマの主人公になるというのは珍しいのではないかと思って他に名前の残っているNo,2という存在の人物を探してみた。


一人目は周恩来。毛沢東というかなりイカれた部分もある政治家というよりも革命家に仕えて(出発点においては二人は同格だったのだが)最後まで失脚しなかった重鎮というのは彼くらいなのではないだろうか。毛沢東のNo,2というのは無能ならもちろん責められるし有能でありすぎても毛沢東の異常な猜疑心を買ってしまうという非常に危険なポジションであったといわれている。劉少奇や林彪もその罠にかかって失脚させられたし後に中国の最高指導者になるケ小平も何回も失脚させられている。あの文化大革命の混乱の中において周恩来によって助けられた人はかなりいるようなのだが、何故か毛沢東は周恩来を攻撃の対象にはしなかった。やはり自分が理想を掲げながらも結果的に起こしてしまった混乱を収拾出来る能力があるのは周恩来だけだという事を毛沢東自身が知っていたのではないかと思われるし、周恩来もトップの座を窺うようなそぶりを絶対に毛沢東に見せてはいけないと戒めていたと思われる。
日本においては新撰組副長土方歳三。彼は自分がトップに立たないほうが良いということを知っていた人物で人の気持ちの掌握はトップである近藤勇に委ねて、自らは組織を強くするためにどちらかと言えば人から嫌われるような汚れ役を引き受けていたようだ。一介の田舎浪人結社だった新撰組が京都の公認治安警察にまでになった背景は組長の近藤勇よりも土方の新撰組の組織的強化にひたすら情熱を持ちつづけるという部分に負うところが大きかったらしい。


結局No,2というのは「労多くして功少なし」であり栄達することを価値観の中心においては努められないというポジションであるようだ。お膳立てをしてもその評価が人に持ってかれる事に嫉妬を感じない強い神経を持っていないといけない訳で、周恩来にしても土方歳三にしてもその役割が認知されたのはかなり時間が経ってからだった。優れたトップには影のような優秀なNo,2が必要なのだ。あるいは優秀なNo,2がいるからこそ優れたトップが存在し得るのかもしれない。個人的には「デキるNo,2」というポジションに憧れるな。自分には無理だけど。