兄弟 (3/10)

昨日の夜、NHKの大河ドラマ「武蔵」を見ていました。僕は基本的にこういった歴史ものは大好きです。ストーリーのほうはいよいよ武蔵と吉岡一門の対決が始まる前半の山場ともいえる箇所にさしかかってきました。この吉岡一門の当主の清十郎とその弟伝七郎の対照的な性格の描き方を見ていて、兄弟における性格の違いというものを考えてみたくなりました。ちなみに自分は弟であります。
自戒を込めて書くのですが、弟というのはどうもひねくれているようです。物事を真っ直ぐ見ないというか批判的に見るというか。まぁそれは生まれた時から常に比較的近い年齢の「自分より明らかに強い存在」という存在を意識して育った事による後天的な性格なのだろうと思います。その分言葉などを憶えるのは早いと言われていますよね。妙に頭が回ったりするというか何というか。長男が良く持っているカラッとした明るさは「目の上のタンコブ」がいないからこそなのではないかと思います。すでにこういう見方が充分弟的でありますが。
たとえば豊臣秀吉と秀長・足利尊氏と直義。忠実な参謀として兄を助けたという例ですね。もっとも足利直義は最終的には兄尊氏にうとまれて殺されたなんて説もありますけどね。そうそう源義経もそうですよね。こうなると弟的には目もあてられない。暗殺されたアメリカ大統領ジョン・F・ケネディにもロバート・ケネディという弟がいて、一説には兄よりも優秀だったなんていわれながらも、印象においては兄の持つさんさんとした明るさにはまったく及ばなかったですよね。兄とマリリン・モンローを別れさせたのは弟ロバートだったとか。まったく余計なことするというか、苦労性というか。きわめつけは映画「ゴッドファーザー」の三男マイケル・コルオレーネ。長男が暗殺されて望まなかったマフィアのボスになってしまうのだが、なった以上は一生懸命に仕事(?)に励む。しかし励めば励むほど料簡が狭くなっていく。挙句の果てにはすぐ上の兄まで殺してしまって、気がつくと親しかった人はまわりに誰もいなくなってしまう。こうなるともはや悲劇。
総じて言えばうつわの大きさが弟というのは・・・という声が聞えてきそうなハナシ。いかんまた弟的ヒネクレ視点になってしまった。