無題 (5/13)

台湾はSARSの流行で大変なことになっているようだ。SARSによって亡くなった人、感染の疑いのある人に対してかなり厳しい隔離政策がとられている。確かに病気の蔓延を阻止するためには止むを得ないことなのだろう。ただその影にはかなり個人のプライバシーや権利を無視した事態も起きているようだ。日本にSARSが上陸して広がった場合どういう対処をするのだろう?社会的大義と個人的人権の尊重という最もやっかいな、そして今語られなければならない問題がここにも隠れている気がする。


小学生が可燃性の液体を掛けられ火をつけられるという信じられない事件がおきた。またコンビニにおいて急に後から刺されるという事件の報道も今日あった。いったい「通り魔」的犯行といわれる事件がここしばらくの間に何件起きているのだろう。こればっかりは防ぎようがない。自分の身のまわり360度の状況を常に警戒してる事など不可能だ。そういう意味では日常生活なんて隙だらけだ。じゃ僕がそういった悲劇に遭う可能性は?もちろんある。という事は単に運が良いという事か。ホント?じゃ「通り魔」に襲われた人には「運が悪かったですね」という事で納得して貰わなければならないのかな?そんなバカな。


女性のアルコール依存症についての番組を教育テレビでやっていた。「酒を飲むと頭の中でカチンと音がして楽になれる・・・」というような台詞があったのは「焼けたトタン屋根の猫」だったか。僕は依存症ではないが気持ちは解る。 依存症(アルコールだけでなく)になってしまう事は自分が思っているより近くにある事なのだろうと思う。むしろ依存症になってしまった後になって「えっ自分が依存症なの?」というように人に気付かされる事が多いのかもしれない。
その番組の中でも20代で依存症になってしまった女性は色々な悩みやトラブルから心を開放するために飲み、それがいつしか深みにはまってしまい「深み」から抜け出すためにさらに飲み・・・。彼女が立ち直るきっかけとなったのは、自らも依存症から立ち直った人たちでなる自助グループでのミーティングだった。そこで自分の思いを率直に語ることや人の苦しんできた足跡を聞くことによって、苦しんでいたのが自分一人でない事に勇気づけられたのだという。


世の中でおこる様々な事はどこか根底の部分では同じ方向を指しているような気がしてならない。それを上手く説明することはまだ出来ないのだけれど・・・。