イラク復興支援について(12/2)

何者かに殺害された外務省・奥さんのコラム「イラク便り」を読みながら、またこの事件を伝える報道を見ながら日本にとってのイラク復興支援というものについて考えています。それはまったくもってもつれた糸をほどくような作業で、僕は未だに何を出発点にしたら良いのかさえ見つけられずにいるのが現状です。


<疑問1>
アメリカは大規模な戦闘は終結したといっている。でもそれは一方的にアメリカがアメリカなりの解釈で言っているだけではないのだろうか。アメリカが主体的にしている戦闘が小康状態になっただけであって戦争自体は全然終わっていないのではないのかという気がする。そんな中でボンヤリと見えてきたのは「何でそんなに危ないところに、わざわざ出かけていかなければならないのだろうか?」という素朴な気持ちだった。
「なんでだろう?」。決してギャグで使っているのではなく本当に率直な気持ちなのです。よし、反対から物差しを当ててみよう。


<仮定1>
今、イラク復興支援に参加することによって守られる恩恵を僕は理解していない。だから「意味もなく危険を冒してイラク復興に参加する目的が見つけられない」というような事が言える。
<疑問2>
「イラクで生命の危険に曝されながら復興支援に参加する事のみによって守られる僕が受けている恩恵」。一体何なのだろうか?小泉首相が言うところの「国益」というのはそういった事なのだろうと思うのですが、それを自分の生活の中においてリアルに捉えられないとこの仮定は行き止まりになってしまうと思うのです。色々な先入観や断片的な知識は僕の中にもあるのですが、やはり小泉首相の口からそれを聞きたいと思うのは僕だけなのでしょうか?


<僕がハッキリと言えること>
アメリカの一部の報道には「今回の事件で日本はやっと世界の仲間入りをした」というような論調もあったらしいが、無条件に腹が立つ。そういうネガティブなものを共有する事によって成立する仲間関係に組する事は僕は到底出来ない。


長くなった上に何もまとめられなかったのですが、引き続き考えていきたいと思ってます。皆さんの意見も是非聞かせてください。