「父親たちの星条旗」

クリント・イーストウッドの描く硫黄島を題材にした二部作の第一弾「父親たちの星条旗」を見てきました。
1945年の硫黄島の激戦で擂鉢山の上に星条旗を掲げて英雄となった若者たちを描いた映画でした。その時点での物語の進行と、その兵士の息子が当時の関係者を訪ねて事実をしらべる現代とが交差する形で映画は進んでいきます。
英雄になるきっかけとなった写真が、彼らが最初に星条旗を立てたのではなく、旗を交換するために行った彼らが偶然写真に撮られただけだという事実が解ってきます。しかしその写真に宣伝価値ありと思ったアメリカの首脳部は国債募集のために彼らを利用していきます。彼らは硫黄島で実際自分たちが見たりやったりした事と、英雄扱いされる事の葛藤を抱えながら、アメリカ全土を国債募集の宣伝のために旅していきます。兵士の一人がこう言います。
「俺があの島で見てきたこと、やってきた事で誇れるものは何一つない」。


三人の英雄のうちインディオ出身のアイラはその葛藤に耐え切れず酒びたりになっていきます。その事を知った軍の上層部は激怒して、差別的な言葉を浴びせて戦場に戻してしまいます。
そのシーンの直後にそれまで散々、国債募集のために三人を利用していた財務省の高官がふと立ち止まり、何かに耐え切れなくなっているような表情を見せます(僕にはそう見えました)。
以前「ミリオンダラーベイビー」を見た時も感じましたが、イーストウッドの演出は非常に淡々としていて、判断を押し付けないクールさがあります。そのシーンでイーストウッドが何を語ろうとしていたのか、僕は特に気になりました。


今年の夏から断続的ではありますが、山岡壮八の「小説太平洋戦争」を読んでいます。その中でこの硫黄島の日本側の指令官だった栗林中将の事を知り、とても興味を持ちました。第二弾はその栗林中将を中心に据えた日本側からの硫黄島の戦いを描いた「硫黄島からの手紙」です。12月の公開なのでそちらを見てからもう一度戦争というものについて考え、書いてみます。